江戸時代から続いている柳川の冬の風物詩「水落ち」が、16日から始まった。
これは年に一度、市街地を巡る城堀の水を落とし、川底の清掃と日光を当て消毒をする「堀干し」のため。
柳川市内の藤吉小学校の児童がどんこ舟に分乗し見守るなか、新町水門を閉めきった。
城堀は、江戸時代初期の柳川藩主田中吉政公が飲料水や農業用水の確保、物資の運搬のために造ったといわれている。
柳川の掘割は水の流れが非常に穏やかであるため、掘割の中には水藻が群がり生え、底には、ちりやごみが滞留していく。生活用水として掘割の水を使っていた当時、水落ちは欠かせない作業だった。
現在は、観光資材として大きな役割を担う掘割の環境整備が主な目的となっている。
当時の農民にとっても、掘割は農業をする上で大きな役目を担っていた。中でも水落ちで浚渫(しゅんせつ)される堀に滞留していた泥、「ガタ」は、養分を多分に含む肥料として重宝された。
水落ちは23日まで行われ、同日水が入り柳川観光シーズンの幕開けである、川開きが行われる。
日本農業新聞 ふくおか版 2月22日